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日本に初めてスイス時計を正規輸入した男 フランソワ・ぺルゴ

現代の日本にはパテックフィリップ・ロレックス・オーデマピゲなど、数多くのスイス時計が溢れていますが、あなたはいつ頃からスイス時計の輸入が始まったのかご存知でしょうか?

その答えは「幕末」。1860年に来日したフランソワ・ぺルゴによって初めてスイス時計が輸入されました。

今回は日本におけるスイス時計の歴史を切り開いたフランソワ・ぺルゴについて語っていきます。

フランソワペルゴ スイス時計

出典:https://yokohamacc.org/

 

開国した日本に可能性を見出したジラールペルゴ

時は江戸時代-幕末-。長い間鎖国されていた日本が1853年に黒船の来航により開国が推し進められ、様々な西洋文明が流入し始めた時期。そして、西洋文化を取り入れた日本が「近代化」を目指し、様々なものを西洋風に改革させていった時代でもあります。

そんな中遠く離れた異国の地スイスには、近代化を進める日本市場に可能性を見出し、日本での時計展開を狙う時計メーカーが存在しました。その名は「ジラールペルゴ」。同メーカーは日本でのスイス時計普及のため、1859年に動きはじめます。

ジラールペルゴ

 

ジラールペルゴからの使者 フランソワ・ペルゴ

ジラール・ペルゴは、時計技師のジラールと時計商の娘マリー・ペルゴにより、1856年にスイスのラ・ショー=ド=フォンに設立された高級時計メーカーです。起源を辿れば1791年にまで遡れる歴史と伝統をもちます。

同メーカーは自社一貫生産を掲げるメーカーとして、ムーブメントの設計や製造を行い、多くの高級懐中時計を製作しスイスや周辺諸国で名を馳せてきました。そして、更なる知名度の向上を狙い「アジアへの進出」を図っていた時期がこの幕末にあたります。

そこで白羽の矢が立ったのが「日本」です。

日本とスイスの貿易関係は、1864年2月6日に第14代将軍徳川家茂とスイスとの間で最初の修好通商条約が締結されたことにより確立されましたが、日本がスイスと国交を結ぶよりも前に日本市場の可能性を見出したのがジラールペルゴでした。

そして日本が開国してから6年ほど経過した時、ジラールペルゴは創業一族のひとりを日本へと送り出します。その男こそ、初めて日本にスイス時計を輸入した「フランソワ・ぺルゴ」だったのです。

フランソワ・ぺルゴ

出典:https://www.facebook.com/girardperregauxwatchesjapan/

 

フランソワ・ペルゴ 横浜に降り立つ

フランソワ・ぺルゴは創業者の一人マリー・ペルゴの弟。時計商の父をもつフランソワは商才豊かな時計技師として名を馳せた人物でした。彼は故郷スイスから遠く離れた横浜に降り立ち、生涯日本でのスイス時計の普及に人生を費やします。

 

フランソワ・ペルゴは1859年に日本に支店開設をするために、スイスのリンドー使節団に同行し日本に出発。ですが、まだこの時点では日本とスイスは”外交”がなかったため、フランソワは入国できずに終わってしまいます。

しかし、彼は何の成果も上げずスイスに戻ることを選ばず、シンガポールで時計職人として暮らしながら、日本への入国の機会を伺いました。

まだ日本と外交関係にないスイス人が日本に入国する方法は一つ、日本にすでに進出している「他国の特別保護」を受けること。そこで、フランソワは、身分を保証してくれる国を探します。そして翌1860年にフランソワは「フランス」から身分を保証され、ついに横浜への来日に成功します。

幕末 横浜

出典:https://ja.wikipedia.org/

この時フランソワが持っていたのはジラール・ペルゴの懐中時計12個。スイス人ではなく”フランス人”として、フランソワ・ペルゴの戦いは始まりました。

 

フランソワ・ペルゴの挫折

入国後のフランソワはインドネシア育ちの商人エドワルド・スネルと手を組み、欧州からの輸入商社「シュネル&ペルゴ」を横浜に設立します。

が、設立後まもなく問題が発生。エドワルドは「武器の方がビジネスになるから、時計輸入販売はやめよう!」といい始めたのです。スイス時計を売る為に来日したフランソワはそれを受け入れるはずもなく、エドワルドと真っ向から対立。その結果、会社は1年程で解散となってしまいました。

対立

その後フランソワは一人1865年に自分の会社を設立します。それが、「F.ペルゴ・アンド・カンパニー」。日本初のスイス時計ブランドの正規代理店が誕生した瞬間です。

しかし、フランソワが思い描いていたように事業はうまくはいきませんでした。なぜなら、当時の日本人にとってスイス時計はあまりにも価格が高く、スイス時計を販売することは非常に困難だったからです。加えて日本人は懐中時計に馴染みがない上に、日本と欧州では時間の計測方法すら違うというオマケ付き。

もちろん収益は芳しくなく、炭酸飲料の販売という別事業を行わなければ生計を立てられないほど、時計事業は困難を極めました。ちなみに炭酸飲料の事業は次第にウェイトが大きくなり、1870年には炭酸飲料水製造会社が設立されています。

 

さらにフランソワに大打撃を与えたのが1866年11月に発生した「豚屋火事」といわれる火災です。

火災

この火災はフランソワの会社を含む外国人居留地のほとんどを焼失させ、ただでさえ業績不振だったフランソワにも致命傷を与えます。

 

フランソワ・ペルゴの逆襲

しかし、フランソワ・ペルゴの心は折れませんでした。彼は不屈の精神で再起し、再びスイス時計の販売を再開します。

そんなフランソワにとって追い風になったのは1864年に結ばれた修好通商条約です。この条約により、日本とスイスとの国交が成立。フランソワはようやくフランス人としてではなく、スイス人として地位を正式なものとします。

また、この条約における特使であり全権公使の「エメ・アンベール」がフランソワと同郷であったことも彼にとって大きなことでした。エメ・アンベールは日本との交渉を行っていた期間、フランソワと交友を深めた記述が残っており、このことでフランソワはより”スイス人”として振舞えるようになったのではないかともいわれています。

フランソワにとっては「スイス人」として活動できる効果は大きく、事業は炭酸飲料事業を中心に、時計輸入ビジネスも徐々に軌道に乗り始めるのでした。

スイス時計

 

グレゴリオ暦の採用

フランソワのスイス時計が売れるようになったキッカケとなったのは1873年に日本に採用された「グレゴリオ暦」が挙げられます。

グレゴリオ暦は1年を365.2425日となるように設定された暦法。現在の日本を含む多くの国で採用されている暦の数え方です。具体的には西暦年が4で割り切れる年を閏年とし、その年の2月28日の翌日を2月29日(閏日)とした暦ですが、西暦年が”100″で割り切れ、かつ”400″で割り切れない年は閏年にしないというイレギュラーなルールも存在します。

 

グレゴリオ暦が採用される前の日本は「日の入りから日の出までを6等分、日の出から日の入りまでを6等分」とする時刻システムを採用しており、その長さは季節によって差があるものでした。

つまり、時刻の測り方が日本とスイスでは全く違っていたため、そもそも実用的な時計としてスイス時計を普及させることは実は不可能だったのです。

ですが、このグレゴリオ暦が採用されたことで、それまで日本独自の時を刻んでいた和時計の役目は終わり、西洋時計の重要性が急激に高まりました。そして、人々は求め始めるのです。

フランソワの時計を…

フワンソワ・ペルゴ 懐中時計

出典:https://www.facebook.com/girardperregauxwatchesjapan/

グレゴリオ暦の採用により、スイス時計の価値は大きく向上します。それまで生じていた日本の暦とスイスの暦のズレはなくなり、スイス時計はたちまち実用的なものになったからです。さらには急速な産業の発展と鉄道網の発展により、時計の重要性とステータス性は今までの比較にならないほど膨れ上がります。

そして、一部の富裕層の嗜好品であったスイス時計は、生活必需品として多くの人々に浸透していくこととなるのでした。

 

フランソワ・ペルゴの墓

ついに事業が軌道に乗り、これから更なる発展に尽くそうとしたフランソワですが、1877年12月18日に脳卒中で倒れ、彼はこの世を去ります。

その後フランソワ・ペルゴは「横浜外国人墓地」に埋葬されましたが、戦争を含む時代の流れに飲まれ、人々は彼の存在を忘れてしまいます。それは墓すら所在が不明となってしまうほど。

しかし、2000年に入りフランソワ・ペルゴの墓は改めて確認されます。それはしばらく冬の時代を迎えていた機械式時計の復活が影響し、日本とスイスを結びつけたフランソワの偉業が評価されたからです。

フランソワ・ペルゴ

出典:https://www.facebook.com/girardperregauxwatchesjapan/

埋葬場所は同墓地の中でも”最も古い区画”であり、現在の元町商店街の近くに位置します。墓が発見されてからは両国の時計愛好家らによって手入れがなされてきましたが、2013年からは日本でジラール・ペルゴを取り扱うソーウインド ジャパンが墓地の整備を行うことになり、現在古いエリア周辺の整備と修復事業を開始しています。

そしてその結果、今では全国から時計ファンが墓参りに訪れるようになりました。それだけ彼が残した功績は偉大だったということでしょう。

 

まとめ

日本にスイス時計を初めて輸入したフランソワ・ペルゴ。幾度苦境に立たされても決して諦めず、スイス時計の普及に尽力した彼の功績はとても偉大です。17年もの間遠い異国の地でスイスと日本を結びつけた熱い想いは確実に現在の時計業界に影響を与えたことでしょう。

そんなフランソワ・ペルゴの墓には現在多くの時計ファンが訪れるようになっています。一時計ファンとして、一度は彼に会いにいってみるのも良いのではないでしょうか。

当記事の監修者

新美貴之(にいみ たかゆき)

(一社)日本時計輸入協会認定 CWC ウォッチコーディネーター
高級時計専門店GINZA RASIN 店舗営業部 部長

1975年生まれ 愛知県出身。
大学卒業後、時計専門店に入社。ロレックス専門店にて販売、仕入れに携わる。 その後、並行輸入商品の幅広い商品の取り扱いや正規代理店での責任者経験。
時計業界歴24年


 

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