技術への献身、そして名に恥じぬ精度。ドイツ時計の粋を体現する“工芸機械”その名は「リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット」。
創業者F.A.ランゲの長男であり、技術畑の礎を築いたリヒャルト・ランゲ。彼の名を冠したこのモデルは単なる敬意の証にとどまらず、彼が遺した精神と功績を現代に結晶化させた存在ともいえます。
なかでも、2009年に登場した「リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット 260.032」は、その名に冠された“プール・ル・メリット”の称号に相応しく、機械式時計における高度な精度追求と機構美を極限まで高めた1本。
A.ランゲ&ゾーネが誇るこの特別なモデル「リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット 260.032」の外観、構造、ムーブメントに宿る美学と技術の真髄を、ディテールを鮮明に写し取った写真を添えて、語っていきたいと思います。
目次
A.ランゲ&ゾーネの「リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット 260.032」は、機械式時計における「精度」を哲学の中核に据えた、稀有なタイムピース。
この時計が宿すのは、ひと目で伝わるクラシカルな美しさだけではありません。
緻密を極めたチェーンフュジー(鎖引き)機構によって、機械式時計における精度の本質を追求。そこに、ドイツ・グラスヒュッテの伝統と哲学が融合することで生まれた、“本質的美学の到達点”とも言える時計です。
18Kピンクゴールドのケースに、ローマ数字を配したホワイトのエナメルダイヤル。三針とスモールセコンドのみの構成は、一見すると古典的なドレスウォッチの佇まいですが、時計の随所に着目すると驚嘆すべき構造美と時計師の執念が息づいています。
リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット 260.032はスペックを超えて“語る価値”のある一本といえます。
時計の外観は極めて端正に見えますが、どこか言語化できない魅力を感じている人は多いことでしょう。それは外観の背後に潜む設計哲学や、見えない部分にまで貫かれた職人の技術と美意識が、見る者の感性に無意識のうちに触れているからかもしれません。
随所に宿る職人技の結晶を、一つずつ紐解いていきたいと思います。
まず、やはり美しい顔からということで着目すべき部分は、文字盤中央、スモールセコンド部分の2つの段差。
これは「ダブルサンク(2つの沈み)」と呼ばれる意匠で、文字盤に陰影と立体感をもたらすとともに、自然な境界線を生み出すことで、視認性を高めた奥行きある文字盤となっています。
ダブルサンク文字盤は、1枚のパーツではなく、外周、中央、スモールセコンドと異なる3枚のパーツで構成され、重ね方や溝の深さによる陰影まで熟練の職人によって計算され作られています。
そのため、1枚構成の文字盤よりも当然高価となり、さらに当機はグラン・フー・エナメル文字盤の組み合わせなので、まさに最高級機としてふさわしい威厳と風格が漂います。
装飾ではなく構造美にこそ価値を見出す方にとって、文字盤構造ひとつを取っても、リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリットを「持つ理由」になりうる一本といえるでしょう。
劣化せず、色褪せず、100年後も変わらぬ美しさを保つ。
高温焼成によって誕生するリヒャルト・ランゲ プール・ル・メリットのグラン・フー・エナメル文字盤は、世代を超えてもその美しさを保ち続けるまさに”不朽の美を宿す文字盤”です。
極めて滑らかな乳白色の釉層が、深い透明感と柔らかな光の拡散を実現しており、まさに実用芸術の最高峰となる仕上げでしょう。
ちなみに「グラン・フー(Grand Feu)」とはフランス語で「大きな炎」を意味し、時計製造においては高温焼成による伝統的なエナメル装飾技法を指します。
グラン・フー・エナメルは、800℃以上の高温でガラス質の釉薬(ゆうやく)を金属ベースに何層にも焼き付ける手法。通常のエナメル技法よりも高温かつ長時間の焼成が繰り返されるため、ひび割れや気泡、色ムラといった不均一が生じやすく、極めて高度な技術が要求されます。
その難易度ゆえに、この技法は一部の高級時計ブランドが、限られたモデルにのみ採用しています。
インデックスにも着目。15・30・45・60分位置に記された赤いアラビア数字はグラン・フーの陶器のような柔らかい白に映え、視覚的なメリハリも加わり、デザインとしての完成度を一層高めています。
赤色をアクセントにするとやや強い印象になりがちですが、ブルースティールの焼き針が程よい落ち着きを添えています。
文字盤全体を俯瞰すると、ベースカラーの白黒だけではどこか味気なく、ブルースティールの焼き針があっても、なおクールな印象が支配的。そこに赤いアラビア数字が加わることで、一気に色としての“動”が生まれ、この時計ならではの表情が立ち上がってきます。
18Kピンクゴールドケースの華やかさも惹き立てており、この僅かな赤が時計が持つ表情の豊かさを掌握しているといっても過言ではないでしょう。
次は、この時計の最たる特徴である「チェーンフュジー機構」について語っていきたいと思います。
リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリットは極めてクラシカルでありながら、その内部には、チェーンフュジー(鎖引き)機構という19世紀のクロノメーター技術を再構築した複雑なメカニズムが腕時計の僅かなスペースに収められています。
まず、チェーンフュジー(Chain and Fusee)機構を簡単に説明すると、機械式時計におけるトルクの不均一性を物理的な力学構造で補正するための古典的な機構です。
機械式時計はゼンマイが解ける際に発生するエネルギー(トルク)で歯車を回しますが、ゼンマイ巻き始め時と解けきる時でトルクの強さが変わります。
トルクが徐々に弱まるとともに、テンプの振れも小さくなるため実質的に一定の精度が保てなくなっていき、歩度が不安定になります。
チェーンフュジー機構はこのトルクの不安定さを物理的に解消するもの。鎖と円錐形のフュジー(均力装置)でトルクの強弱に合わせた動力伝達することで、常に一定の力をムーブメントに供給し続ける高度な機構になっています。
機械式時計にありがちな日差の振れ幅が抑制され、全巻上げ期間にわたり高い精度を維持することができます。
また、手作業による組み立てと調整を経て実装していることから、その存在自体が時計技術の粋を示します。
A.ランゲ&ゾーネの掲げる「機械式時計における実用精度の追求」が機械的に裏付けられているといえるでしょう。
チェーンフィジー機構はもともと16~18世紀のマリンクロノメーターや高精度懐中時計に採用されていた技術であり、構造が極めて複雑かつ製作難易度が高いため現代の腕時計でこれを搭載するのは極めて稀です。
チェーンは数百個もの極小パーツで構成され、フュジーとの連携には極めて精密な調整が求められます。
かつて懐中時計のような大きなケースに収められていたこの複雑機構を、現代の腕時計という限られたスペースに搭載するというのは、まさに驚異的な技術の結晶と言えるでしょう。
チェーンフィジー機構を腕時計に収めるにはスペース確保が必要なのは言うまでもありません。各パーツの形状や大きさをいかに無駄なくコンパクトに収めるかも計算されていなくてはいけないのです。
当機のパワーリザーブは36時間。これを短いと感じる人はいるかと思いますが、短いという事はゼンマイも短くなり香箱を小さくする設計も可能となります。つまりは、チェーンフュジー機構を収めるスペース確保のための設計とも言えます。
ただし、「パワーリザーブ36時間」という設計の本質は、これから述べる点にあります。ゼンマイのトルクカーブにおいて、最も安定して出力が均一に近くなるゾーンが36時間とされており、その領域のみで駆動させることで、精度の安定を確実なものにした、まさに理にかなった設計思想です。
画像引用:A.ランゲ&ゾーネ公式HP|チェーンフュジーによる動力伝達
リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリットの手巻きムーブメントにはキャリバーL044.1が搭載されており、手巻きながらトルクと持続性、審美性のすべてを両立した名機として評価されています。
画像引用:A.ランゲ&ゾーネ公式HP|リヒャルト・ランゲ “プール・ル・メリット”
ムーブメント | キャリバー L044.1 チェーンフュジー(鎖引き伝達機構)搭載 |
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種類 | 手巻き式ムーブメント |
パワーリザーブ | 36時間 |
テンプ振動数 | 毎時21,600振動(3.0 Hz) |
石数 | 33石 |
部品数 | 915個 |
キャリバーL044.1は216個の部品で構成。構造的には、ジャーマンシルバー(洋銀)製の3/4プレートを採用し、グラスヒュッテ伝統の設計を踏襲。手彫りのバランスコック、ポリッシュ仕上げのネジ、面取りの角、ペルラージュ装飾など、全てのパーツに一切の妥協を許さないフィニッシュが施されています。
A.ランゲ&ゾーネの個性である3/4プレートにチェーンフュジー機構の複雑な動きを覗き見ることがこのムーブメントならではの醍醐味。機構の“哲学”と仕上げの“美学”を同時に味わえる、極めて贅沢な仕様といえます。
エングレービング入りテンプ受け、ブルースクリューなど、ドイツ・グラスヒュッテ様式の粋を極めた装飾が施されており、息を吞むような美しさ。シースルーバックの裏蓋を覗くだけでも深い感動があります。
手巻きでありながら約36時間というパワーリザーブは、前述の通り“精度の美味しいところ”だけを抽出した設計です。頻繁な巻き上げが求められる一方で、その行為そのものが時計と対話するような時間となり、愛好家にとってはかけがえのない魅力となります。
キャリバー L044.1は、数値的なスペック以上に「なぜ時計は正確であるべきか」という問いに正面から向き合った、誇り高き機械芸術といえます。
A.ランゲ&ゾーネでは、すべてのテンプ受けに熟練した職人の手作業による、独特の花模様のエングレービングが施されています。
エングレービングとは、金属や木材の表面に彫刻を施す技法であり、極めて繊細かつ高度な表現力が求められるものです。
この装飾は1点ごとに異なり、同じ模様は二つとして存在しません。その彫りは職人一人ひとりの“筆跡”で、伝統技術の継承、職人の誇りそのものがこの小さなテンプ受けに刻まれるのです。
高倍率ルーペで覗き込んだときの感動は、写真やカタログでは決して伝わらない、実物に触れる者だけが得られる体験といえるでしょう。
A.ランゲ&ゾーネの「リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット 260.032」は機構の素晴らしさが注目されるモデルではありますが、「プール・ル・メリット(Pour le Mérite)」の称号を得たモデルであることも魅力の一つです。
「プール・ル・メリット(Pour le Mérite)」は、A.ランゲ&ゾーネにおいて技術的革新と最高精度を兼ね備えた限られたモデルのみに与えられる特別な称号です。
画像引用:ウィキペディア|プール・ル・メリット勲章
この名称は元来、18世紀末のプロイセン王国で創設された最高勲章のひとつであり、科学や芸術の分野で卓越した功績を残した者に授与されました。
実際、アインシュタインやアレクサンダー・フォン・フンボルトといった歴史的な人物もこの勲章の受章者です。
A.ランゲ&ゾーネはこの名称を、1994年のブランド再興時に初めて発表したフラッグシップモデル「トゥールビヨン プール・ル・メリット Ref.701.001」に冠しました。
画像引用:A.ランゲ&ゾーネ公式HP|TOURBILLON “Pour le Mérite”in 750 yellow gold
このモデルには、19世紀のマリンクロノメーターにも用いられた「チェーンフュジー(鎖引き)機構」が搭載されており、機械式時計の精度において徹底的なこだわりを体現していました。
以来、「プール・ル・メリット」は単なるシリーズ名ではなく、A.ランゲ&ゾーネがその技術的信念を賭けた象徴的存在として受け継がれています。
この称号が与えられるモデルには、共通してチェーンフュジーを中核とした複雑構造が採用されており、精度の安定性、審美性のすべてが高度な技術によって融合しています。
これらのモデルは極めて限定的な生産数で展開されており、技術的な完成度だけでなく、コレクターズピースとしての価値も非常に高くなっています。
つまり「プール・ル・メリット」とは、単なるネーミングではなく、A.ランゲ&ゾーネの哲学とドイツ時計技術の真髄を体現した称号だといえるでしょう。
歴史・技術・思想がひとつのタイムピースに結実した存在として、世界の時計愛好家から崇敬を集めているのです。
「リヒャルト・ランゲ プール・ル・メリット 260.032」は、A.ランゲ&ゾーネの掲げる“精度と美の結晶”を体現した一本。
チェーンフュジー機構に象徴される技術美、ドイツ伝統の意匠、そしてピンクゴールドケースと研ぎ澄まされたダイヤルが織りなす造形美。
触れるたびにその真価を実感し、“本物”の意味を静かに語りかけてくる、人生を共に歩む一本なのではないでしょうか。
ランゲ&ゾーネ リヒャルト ランゲ プール・ル・メリット 限定200本 260.032(LS2604DJ)
参考価格11,800,000円(税込)
モデル情報
ドイツ高級機械式時計の最高峰メーカーと称される<ランゲ&ゾーネ>。200本限定の本モデルは、機械式手巻きムーブメント「Cal.L044.1」を搭載。肌馴染みの良い18Kピンクゴールド製ケースに、白色のエナメルダイアルが際立つ端正なデザインは、一見すると控えめで飾り気のない佇まいですが、洗練された上品さと格調高さを感じさせます。ムーブメントには、鎖を用いてぜんまいの動力を伝える「チェーンフュージー機構」を搭載。微小な鎖で螺旋状の部品を引っ張り、最外周の歯車を時計に伝え、ぜんまいが伸びるに従い変化するトルクを一定に保つ仕組みです。636個もの微細なパーツから構成されるこのチェーンは、シースルーバック越しにその一部を確認することができます。