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WEBマガジン, その他, ブランド時計豆知識, 田中拓郎

エプソンミュージアム諏訪に行ってきた!東洋のスイスを生んだ「ものづくり」80年の歩み

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「東洋のスイス」とも称され、精密加工業を盛んとしてきた長野県諏訪地方。

同地を象徴する諏訪湖のほど近くに位置し、諏訪地方の「ものづくり」を代表する株式会社セイコーエプソン(以下エプソン)は、2022年に創業80年を迎えました。

この節目の年にエプソンは、1945年に竣工した社屋を改修し、創業記念館をオープン。従来あったものづくり歴史館とともに、エプソンミュージアム諏訪として5月18日から一般公開されております。

国産時計の発展はもちろん、日本のものづくりが躍進し、世界へと羽ばたいていく時代を、臨場感を以て楽しめるエプソンミュージアム諏訪。さっそく見学に行ってきました!

 

セイコーエプソンとは?

株式会社セイコーエプソンは、本社を長野県諏訪市大和に置く、精密機器メーカーです。

従業員数は7万人超、売上収益は11,289億円、国内外に80社のグループ会社を抱える一大企業(いずれも2022年3月31日現在)。そんなエプソンと聞くとプリンターやプロジェクターのイメージが強いかもしれませんが、ウォッチ製造で深い歴史を持つ企業でもあり、諏訪を「東洋のスイス」たらしめた立役者としても知られています。

 

創業は1942年5月18日。創業者は服部時計店で丁稚奉公をしていた山崎 久夫氏。

服部時計店(現セイコーホールディングス株式会社)のウォッチ製造部門であった第二精工舎の、協力工場「有限会社大和工業」として設立されました。

※第二精工舎は服部時計店のウォッチ製造の、主力工場。東京 亀戸。現セイコーインスツル株式会社。諏訪工場は、第二次世界大戦下にこの第二精工舎の疎開工場として設立された。

 

ちなみに「大和工業」は現在も本社が置かれる長野県諏訪市大和に名前を由来しますが、地名として大和は「おわ」と読み、一方の当該工場は「だいわこうぎょう」と読ませます。

 

創業当時は味噌蔵であった建物からスタートしたこの大和工業は、時計部品の製造を担いました。

第二次世界大戦後に第二精工舎・諏訪工場から営業譲渡を受け、1959年に株式会社諏訪精工舎を設立。以降、国産初のオリジナル設計となる機械式時計「セイコーマーベル」や、世界の高級時計と戦える「初代グランドセイコー」などといった、今なお国産腕時計史に残る名作の製造を手掛けました。なお、この営業譲渡によってセイコーホールディングスとの資本関係は解消されており、エプソンは子会社ではありません。

 

冒頭で述べたように、諏訪は「東洋のスイス」と称されることがあります。これはエプソン創業者の山崎 久夫氏が目指すところでした。

諏訪地方は山や湖に囲まれ、厳冬がある一方で夏でも低湿度という気象条件がスイスと共通します。また教育水準が高く、人々は勤勉であったと言います。そのため山崎氏は時計製造を始めとした精密加工業が諏訪の産業として適していることを理解し、地域産業として根付かせていくことに尽力しました。

事実、エプソンによって時計製造技術を土台に、プリンターやハンドヘルドコンピューター、ポケットカラーテレビ等が開発・製造され、最新機器の発信地となっていきます。

 

なお、エプソンの社名になったのは1982年です。

諏訪精工舎の子会社として1961年に信州精器株式会社が設立されますが、その子会社から世界初の小型軽量デジタルプリンター「EP-101」が開発・ローンチ(手のひらサイズ!)。このEP(Electric Printer)の子どもたち(SON)を生み出し、世に送り出していくという思いを込めて、EPSONという名で同社の独自ブランドとして生み出されました。さらに言うと、Excellent「卓越」Proud「誇り」Strong「強靭」Original「創造」Newer「革新」の頭文字でもあります。

その後1985年に諏訪精工舎と合併し、セイコーエプソンへと社名変更されたという経緯があります。

現在エプソンでは業績の7割をプリンターおよび関連事業が占め、さらにプロジェクターやロボティクス、マイクロデバイスなどと多岐に渡った製品展開をしており、今なお世界を牽引するリーディングカンパニーであり続けています。

ウォッチについても意欲的に展開しており、セイコーウォッチから2012年にローンチされた世界初GPSソーラーウォッチ「アストロン」の7Xムーブメントの開発しかり、TRUMEやオリエント/オリエントスターといった人気ブランドを傘下に抱えており、時計業界でも確かな存在感を放ちます。

 

2022年5月18日オープン!エプソンミュージアム諏訪に行ってきました!

前項でご紹介したように、世界に名だたるエプソンですが、2022年5月18日―誕生80周年の節目―にミュージアムが公開されました。このミュージアムは、二つの建物を軸にストーリーが構成されています。

 

一つ目の建物が、創業記念館です。

こちらは1945年10月に竣工した当時の社屋を改修したもので、創業期から1970年代までを取り上げます。実際にこの社屋が使われていた当時、大和工業での時計部品製造からエプソンブランドの確立までの歴史を、歴史的プロダクトとともに紹介されています。

もう一方の建物が、ものづくり歴史館です。

こちらはもともとあったものづくり歴史館が改装されています。ものづくり歴史館では、これまでエプソンが生み出してきたプロダクトはもちろん、社会の課題への企業としての取り組みや、取り組みを実現するためのテクノロジーの数々が一堂に会します。

 

いずれの施設でも触って体験したり、わかりやすい模型の動きを見ながら理解できたりと、ユーザー参加型の取り組みがなされていることが当ミュージアムの一つの特徴です。また各所にエプソンが得意とする最先端プロジェクターが用意されており、鮮明な映像とともに、エプソンのこれまでとこれからを感じられることも印象的でした。

それでは実際に行ったエプソンミュージアム諏訪を、レポートいたします!

 

①概要

所在地:長野県諏訪市大和3-3-5
アクセス:JR上諏訪駅から徒歩15分。駐車場数台あり
入館料:無料
開館時間:平日10:00~12:00、13:00~15:00
見学方法:事前予約制(WEB 団体利用は要TEL)
対応言語:日本語または英語

 

ミュージアムの見学には事前予約が必要です。見学希望日より1週間前までにホームページの予約フォームより必要事項を入力のうえ、申請します。

 

見学コースは創業記念館またはものづくり歴史館、あるいはこの二つを予約時に選びます。

見学時にはエプソンの方々が丁寧に解説を加えてくれます。

私が訪問した折は、総務部の上條さんと笠原さんが案内しながら、様々なエピソードをお話してくれました。

ぜひ見学の折は、創業記念館・ものづくり歴史館どちらも訪れてほしいなと思います。

※2022年6月現在の情報となります。詳細はエプソンミュージアム諏訪のホームページをご確認下さい。

 

②創業記念館

最初に足を踏み入れたのは、創業記念館です。

前述の通り、1945年に竣工したこの社屋はミュージアムのために内装改修しているものの、外観は当時のものが残されております。社屋が建てられ、人々がこの場所でプロダクト製造を担った当時を振り返るような、歴史やエプソンブランド誕生までの歩みが丁寧に展示物とともに綴られています。

ミュージアムは社屋の1階。約100平方メートルが展示スペースとして取られました。

 

社屋に足を踏み入れると、創業時を表す何枚かの写真とともに、まず半鐘が目に飛び込んできました。

この半鐘は大和工業時代、警備所の軒に吊るされていた半鐘とのこと。創業者山崎 久夫氏の「絶対に火事を出さない」という、決意の表れを象徴する一つです。

山崎 久夫氏について、そして氏の並々ならぬ情熱については実際にエプソンミュージアム諏訪に赴き、上条さんなどから直接話を聞いてほしいものですが、氏は「諏訪で時計産業を根付かせ、東洋のスイスにする」という信念を一貫して持ち続けてきたことが展示物の数々から伺えます。そのため火事など出して(第二精工舎の諏訪工場が)諏訪から撤退してはかなわぬ、ということで自ら夜回りするほど、火への注意を怠らなかったとのこと。半鐘は、そんな山崎 久夫氏の情熱を垣間見せる一端と言えます。

 

さて、そんな創業記念館は展示室ごとに、主に下記のストーリーに分かれています。

「誠実努力」
「創造と挑戦」
「技術は人びとのために」

 

最初の展示室は、「誠実努力」。

これは山崎 久夫氏の人物像、そしてエプソンのお客様に対する基本姿勢です。この言葉を同社ではとても大切にしているのか、創業記念館を出てすぐのところに位置する石碑にも刻まれていました。

そんな山崎氏を感じられる誠実努力の部屋は、大和工業時代の時計部品製造から始まり、セイコーマーベル(1956年)や初代グランドセイコー(1960年)などと言った、時計製造の歴史を時代を追って振り返ることができます。

 

※大和工業が最初に製造を手掛けた「輪振り」。気象用時計や巡回時計のための脱進機・調速機ユニットに当たる

 

 

とりわけセイコーマーベル・初代グランドセイコーが誕生した時代、国産時計はわが国の主要産業に位置付けられ、官民あげて発展に力が入れられました。ミュージアムでは、戦後、日本市場のニーズに応えるために、生産技術の向上と生産力増強にまい進する様が、当時の写真とともに臨場感を以て感じることができるでしょう。

なお、前述の通り諏訪精工舎が発足したのも、同時期となる1959年です。

 

下の写真は、誠実・努力の部屋に展示されていた「ピーターマン自動旋盤機」です。

ピーターマン自動旋盤機とは東京 亀戸の第二精工舎より、1945年に大和工業に疎開された工作機械で、エプソンに残っている中で最古のものと!

実際に稼働するところを目の当たりにできたことも驚きでしたが、旋盤で加工された部品の細かさを虫眼鏡から覗き、当時の国産時計の量産技術の進歩を垣間見る思いでした(もっとも、当時は部品の加工精度に関して、腕の良い作業者に拠るところも大きかったのだとか)。

 

次の展示室は「創造と挑戦」です。

この展示室では、機械式時計の高精度化への歩みから、次世代の時計開発の軌跡が、貴重な写真・展示品とともに感じられます。新しい何かを創造することは、トライ&エラーの繰り返しであることが、当時の写真や展示品とともにひしひしと伝わってきます。

 

第二次世界大戦後、国産時計は飛躍的に成長を遂げていましたが、一つの志として「スイス時計産業に追いつけ、追い越せ」がありました。

ご存知、スイスは時計大国です。日本も明治以降、グレゴリオ暦を導入したことをきっかけに洋式時計の輸入が盛んとなりましたが、主な輸入先はスイスです。

スイスは時計の品質規格や試験についても古くから備わっており、そのため国産時計の発展の指標を考えた時、スイス天文台コンクールへの挑戦があったことは当然と言えるかもしれません。

※画像はグリニッジ天文台のシンボル「Time Ball」

この天文台コンクールというのは、欧州各地の天文台で開催された、各メーカーが時計の精度を競うコンクールです。かつて、天体観測によって標準時を定めていたため、天文台はまさに精度の象徴のような存在であったのでしょう。

1766年、イギリスのグリニッジ天文台で行われたのが天文台コンクールの最初と言われています。その後1791年にスイスのジュネーブ天文台でも開催される運びとなり、1858年にはヌーシャテル天文台でもスタート。100年以上に渡って継続されました。

天文台コンクールでは技術の競争のみならず、クロノメーター規格検定も行われました。クロノメーターとは時計の精度規格の一つで、認定機は「クロノメーター」を名乗り、表記することが認められます。すわわち各社が天文台から「高精度」のお墨付きをもらうことで、自社製品のブランディングに大いに役立てたものでした。

 

国産時計にとって、このスイス天文台コンクールに上位入賞することが、「スイスに追いつけ、追い越せ」の一つであった、というわけですね。

諏訪精工舎(および第二精工舎)では、ヌーシャテル天文台への初参加が1964年でした。その際、順位は144位。クロノメーター検定も認定されず、結果はあまり良い物とは言えませんでした。

しかしながら、1967年にはヌーシャテル天文台でシリーズ賞(企業賞)3位を獲得するなど(第二精工舎は2位)、スイス勢を圧倒する勢いを見せつけることとなりました。翌1968年、ヌーシャテル天文台コンクールが中止となったためジュネーブ天文台コンクールに挑戦し、機械式時計としては最高位となる4位から10位までを独占します。ちなみにこのコンクールでは当時、既にスイス勢の上位機はクォーツが1位、2位、3位を多く占めていました。そのため、実質機械式時計では諏訪精工舎が世界トップレベルに位置していたことがわかります。

天文台コンクールは順次終了していきますが、これはクォーツ式時計が普及したためとも、わが国の時計が上位を総なめするようになったためとも言われています。

この当時の、コンクールのための試作品や出品ムーブメントの数々をミュージアムでは目の当たりにすることができます。まさに創造と挑戦ですね!

 

さらに、この展示室では「次世代の時計」にまで行きつきます。それは、クォーツ式時計です。

伝統的な時計は機械式と称されます。これは巻き上げたゼンマイがほどける力を利用して時計を動かし、振り子のように一定周期で振動するヒゲゼンマイで正確に時を刻ませる、といった仕組みです。

第二次世界大戦を経て、日本のみならず世界で時計産業は黄金期を迎えていきます。そんな中で精度向上はいっそう研究され、メーカーによってはヒゲゼンマイ以外の調速機が模索され続けました。

クォーツ式時計は、そんな精度向上の中の研究成果の一つです。そして現在、世界で最も普及している時計機構の一つと言っても良いかもしれません。

ではクォーツ式時計が何かと言うと、電池で駆動し、水晶振動子で調速するタイプの時計です。水晶振動子は圧電素子で、電圧印加すると変形し、振動を発生させます。この振動を利用して精度を取るというのが、クォーツ式時計の仕組みです。

ヒゲゼンマイによる調速機は、現在「ハイビート」と呼ばれているムーブメントでも「毎時28,800~36,000振動(1秒間に8~10振動)」程度です。一方の水晶振動子であれば1秒間に32,768振動(現在。当時は8,192振動ほど)!

より正確な時計を実現しやすいことはもちろん、電池稼働となるため機械的稼働部が少なく、そのため量産しやすい・外部からの衝撃や振動に強いなどといった長所をも有します。

水晶振動子は時計のみならず、パソコンやスマートフォンのクロック信号のタイミング合わせなどでも用いられており、現在では「産業の塩」などと称することもあります。

一方で小型化が難しい側面もあります。これはトランジスタがまだ一般的でなかった1950年代当時は言わずもがな。そこで諏訪精工舎では1959年、電子・電気時計開発のために59Aプロジェクトを発足。そんな中で放送局用水晶時計を製造しますが、これはロッカーほどの大きさもあったとのことで、その実物大のパネルが展示されておりました。

 

ロッカーほどの大きさの水晶時計を、腕時計サイズにする。

このプロジェクトによって生み出された数々の時計が展示される中で、次の展示室「技術は人びとのために」へと繋がっていきます。

この展示室では、1964年に開催されたオリンピックで諏訪精工舎が振るった計時技術、そして59A プロジェクトから引き継がれたクォーツ式時計の開発、さらにエプソンブランドが立ち上がるまでの一連の時代が収められています。

 

今でこそオリンピックのオフィシャルタイムキーパーと言うとオメガが有名ですが、わが国のセイコーも過去何度か同大会で計時を努めてきました。この時、精工舎・第二精工舎そして諏訪精工舎の技術が、競技大会における計時のあり方を大きく変えたと言われています。

と言うのも、かつての競技大会では手動計時が主流で、選手のスタート・ゴールを目視で確認し、ストップウォッチを担当者自らが押すことでタイム計測を行っていました。そのため順位や記録に対してクレームが多発していたことは、想像に難くありません。

そんな中で諏訪精工舎が開発していた水晶時計の技術を応用し、電子計測やデジタル表示による計時を実現。「大会史上はじめて、計時に対するクレームがなかった」などと絶賛されたとのことです。

ちなみにこの画像は、当時の社内報に実際に描かれたイラストとなります。

 

この諏訪精工舎がセイコーとともに開発に携わった計時技術の中で、特筆すべきはプリンティングタイマーです。

これは時間計測を行うタイムカウンターと、時刻のプリント機能を組み合わせた電子記録システムです。競技におけるピストル・光電管・写真判定機などと連動し、スタートからゴールまでを自動計測。そのうえで記録も印字できるとあって、当時としては非常に画期的な装置でした。肉眼で判定せざるをえなかった頃と比べると、かなり公平な計時と言えるでしょう。

このタイムカウンターは水晶時計を用いており、電磁ハンマーによってプリンティングを行うという仕組みが採られます。

そのためプリンティングタイマーの開発は、前述したクリスタルクロノメーターや1969年、世界で初めて市販化が成功された腕時計セイコー クォーツ アストロン 35SQへと繋がっていきます。

59Aプロジェクトの発足から10年の時を経て、水晶時計を腕時計サイズまで小型化し、見事量産にこぎつけたというわけですね。

セイコー クォーツ アストロン 35SQは、IEEE(米電気電子協会。アイ・トリプルイー)の「マイルストーン賞」と「革新企業賞」を獲得しています。これは、IEEEが電気・電子・情報技術等の歴史的偉業に対し行う顕彰です。展示室の中央には、セイコー クォーツ アストロン 35SQとともにIEEEの銘板が誇らし気に掲げられておりました。

 

クォーツ式時計の市販化によって、腕時計は一部のお金持ちのみならず一般ユーザーにとっても非常に身近な存在となっていきます。とりわけ腕時計の薄型化・小型化によって、レディース製品のラインナップが増えたことは特筆すべき点ですね。まさに「技術は人びとのために」。

なお、1970年代~1980年代はクォーツ式時計の市場でのシェアが急速に拡大したことで機械式時計が不調となったこと。またスイス時計産業が振るわなかったことなどを受け、時計業界では「クォーツショック」などと呼ぶこともあります。

 

さらにプリンティングタイマーは、「エプソン」誕生にも大きく寄与します。

それは、1968年に誕生した小型デジタルプリンターEP-101です。この手のひらサイズのデジタルプリンターによって、エプソンは情報機器分野の大家として世界へ躍り出ていくこととなります。

もっとも1965年、諏訪精工舎・信州精器は既にプリンティングタイマーV型を完成させていました。

クォーツ腕時計で培ったノウハウを背景に、小型で電池駆動できるこのプリンターは、実際の競技大会などでも採用されました。

しかしながらV型の発表からEP-101の商品化まで3年の歳月を置いたのは、諏訪精工舎および信州精器が製造のみならず、販売・サービスを自社で行う総合メーカーへと移行するためでした。市場調査を徹底的に行い、堂々EP-101のリリースに至ったというわけです。

 

その後製品ラインナップの充実と生産拡大が図られ、後継機も次々とローンチ。海外進出を果たしたことで、情報機器分野において、国内外で高い評価を獲得していきます。

EP-101のローンチをきっかけに、前項でもご紹介したように自社独自ブランド「エプソン」が発足し、現在の世界のセイコーエプソンへと成長を遂げてきました。

 

ここまでが、創業記念館の概要です。なお、普段開放はしていませんが、竣工した昭和20年当時の雰囲気を味わえる社屋へと案内してもらえました(お願いすれば、開放してくれますよ!)。

建物自体は古いですが天井や梁が当時のまま残っており、ここで国産時計の発展、そしてプリンター技術を主軸とした日本の「ものづくり」の礎が築かれたと思うと、少し物思いにふけってしまうものでした。

 

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③ものづくり歴史館

ものづくり歴史館では、大和工業時代からセイコーエプソンとして世に送り出してきた製品・技術が一堂に会しております。

創業記念館はセイコーエプソンのストーリーを存分に堪能できるミュージアムでしたが、一方のものづくり歴史館はプロダクトやテクノロジーそのものに主軸が置かれており、その様々な機器から同社の「省・小・精の技術」を存分に感じられます。

この「省・小・精の技術」とは、エプソンが掲げる「ものづくりのDNA」です。

何を作るにおいても、省エネルギー・小型・精度をつきつめる、と。セイコー クォーツ アストロンで培われた小型化の技術は、今なお根付いていることを改めて思わせます。

例えばミュージアムで伺った話で最も印象的だったのが、こちらのマイクロロボット「ムッシュ君」。

1993年にローンチされた超小型自立走行ロボットで、光を当てると、それに向かって走行することが大きな特徴です。クォーツ式時計の低消費電力ICや水晶振動子が用いられていることも特筆すべき点です。

ムッシュ君、とても小型の製品と一回り大きい製品とが展示されているのですが、エプソンの笠原さん曰く「弊社は、この小さい方から作る」と。これぞまさに「省・小・精の技術」。

なお、ムッシュ君は1994年に「世界で一番小さいロボット」としてギネスブック掲載されています。

 

また、ものづくり歴史館では、至るところにエプソン製プロジェクターによって映像が映し出されていることにも気づきました。

プロジェクターもまた、エプソンが世界に誇る技術の一つです。とりわけ近年ではプロジェクションマッピングなどといったイルミネーションとしても重宝されており、オフィスのみならず街のそこかしこでエプソン技術を身近に感じられます。

ちなみに現在、プロジェクターで映し出された映像を「手」を使ってスワイプできる、ということをご存知でしたか?教育現場などでは結構普及し始めているようですが、初めて目の当たりにした私は非常に驚かされたものでした。

 

様々なデジタルデバイスやロボティクスなど、かなり膨大な展示物が並べられており、非常に見ごたえあり!

中には思い入れのある製品もあるかもしれません。

 

さらに、ものづくり歴史館はエプソンが目指す「持続可能でこころ豊かな社会」の実現に向けた取り組みについても、わかりやすく親しみやすく展示されていました。

展示は「環境」「DX(デジタルトランスフォーメーション)」「共創」の三つのテーマを主軸に、さらに長期ビジョン「Epson 25 Renewed」の紹介や、エプソンのイノベーションが紹介されております。

 

これに加えてスマートグラスや昇華転写印刷等の体験コーナーも用意されており、まさに大人も子どもも楽しめるミュージアムでした!

時計好きも、日本のものづくりにご興味がある方も、ぜひ一度足を運んで頂きたい場所です。

 

 

まとめ

長野県諏訪地方にて、2022年よりオープンしたエプソンミュージアム諏訪へ行ってきました!

非常に貴重な展示物と、臨場感ある写真、そしてプロジェクターによって、国産時計の発展や日本のものづくりの歴史をとても身近に感じられる施設だと感じました。

なお、エプソンミュージアム諏訪が位置する長野県諏訪は温泉も名物で、片倉館を始めとした日帰り入浴施設、あるいは温泉旅館が豊富に立ち並びます。そのため温泉や諏訪湖周辺を観光がてら、ミュージアムに立ち寄るのもアリ!

ぜひ「東洋のスイス」を楽しんでみてくださいね。

文:鶴岡

 

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この記事を監修してくれた時計博士

田中拓郎(たなか たくろう)

高級時計専門店GINZA RASIN 取締役 兼 経営企画管理本部長
(一社)日本時計輸入協会認定 CWC ウォッチコーディネーター

当サイトの管理者。GINZA RASINのWEB、システム系全般を担当。スイスジュネーブで行われる腕時計見本市の取材なども担当している。好きなブランドはブレゲ、ランゲ&ゾーネ。時計業界歴12年

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